第二次世界大戦の終戦とほぼ同時に日本に生まれた。小学校の頃から、彼女はその早熟な絵画の技術で周囲に感銘を与えた。カレッジ卒業と同時に、マンガ・アニメ芸術のゴッドファーザーとされる中原淳一氏(1913年~1983年)に注目される。キイコは中原淳一の唯一の弟子となり、義理の娘にもなった。その後、中原キイコはアーティスト、イラストレーター、ドレス及び衣装デザイナーとしてキャリアを積んだ。その後は1993年に日本を離れ、2000年からはハワイで暮らしている。 中原淳一は、彼自身も竹久夢二(1884年~1934年)からインスピレーションを得て、若く純粋で無邪気で可憐な少女たちを描いた。しかしキイコは女性目線を通して、内面から切り取られた大人の女性を描いている。そして、30年近く日本国外で暮らしてきたキイコは、日本に住んでいた時よりも日本女性の官能性と美しさをより鮮明に捉えることができた。 中原キイコを知る評論家らは、彼女は独自のスタイルを築き、彼女の絵画は非常に特徴的であると主張している。目は非常に印象的で、色使い、複雑なディテール、質感、着物の印象はすべて、日本女性の繊細かつ圧倒的な美しさに焦点を当てた、大変珍しい繊細なスタイルを作り出している。
1948年 独学で絵を描き始める
1953年〜 幼少期より数人の絵画個人教授につく
1956年~1962年 東京の女子美術大学付属中高に通い卒業
1962年〜1966年 文化服装学院に通い卒業
同校在学中に円谷プロダクションにて特殊効果と技術アシスタントに携わる
1974年 銀座ファッションビルチーフデザイナー
1975年 東京・六本木に自身のデザインスタジオを開設
1975年 銀座ソニーギャラリーにてキイコ個展
1985年 日本・つくばエキスポ ’85にて、アメリカパビリオンの衣装とユニフォームをすべてデザインし米国政府より感謝状を授与
1993年~ ヨーロッパに住み絵画を描く
2000年~ ハワイへ移り住み絵画を描く
2002年には、ホノルル日本文化センター知事賞を受賞